兵庫県丹波市の青垣地域を拠点に活動する「青垣ジュニアバレーボールクラブ」の監督、足立博之さん(75)が就任40年を迎えた。前身のチームを含め、子どもたちを温かく見守ってきた名将は、これまでの歩みを「あっという間でした」と感慨深げに振り返る。(川村岳也)
足立さんは1945年、遠阪村(現丹波市青垣町)生まれ。23歳で姫路市の中学校の体育教諭になり、32歳で帰郷。氷上養護学校(現氷上特別支援学校)の教諭に転身した。これを聞きつけた地元小学生の保護者らが、足立さんの元を訪れる。「女子のスポーツチームを作ってくれないか」と頼むためだった。
当時の遠阪地区には少年野球チームはあったが、女子のスポーツチームはなかったという。依頼を引き受けた足立さんは検討した末、人気があり、長く続けられるバレーボールを選択。「遠阪少女バレーボールクラブ」を立ち上げた。指導するにあたっては、基礎的な面について中学時代のバレーボール部経験で得た記憶をたどりつつ、本も読んで学びを深めた。
部員が不足し、チームが辛うじて成立する6人になったこともあった。足立さんは「途中で2、3回つぶれかけたときもあった。部員のいないときは悲しかった」と明かす。しかし、卒業を控えた6年生の保護者らが、新部員を探してくれたこともあり、何とかチームを維持できた。
青垣小が発足する数年前には、青垣地域にあった3チームが「青垣ジュニアバレーボールクラブ」に統合。実績があったことから、足立さんは新チームでも監督を務めることになった。
現在のチームには、青垣地域を中心に地元の小学生約20人が所属し、週4回活動している。キャプテンの足立柚乃さん(12)は足立さんについて「厳しい時も優しい時もある。一生懸命指導してもらえる」と話す。
昨年、監督生活のなかで一番うれしい出来事があった。チームが史上初めて、県大会で準優勝を決めたのだ。「ベスト2なんて夢のまた夢だと思っていた」と足立さん。「強いところは正月三が日以外、ずっと練習している。そういう中で勝てたことに意味があると思う」と力を込める。
部員の保護者から「歩けなくなっても車いすを押す」と言われるほど、厚い信頼を受ける足立さん。「体が続くうちはやっていたいと思ってます」と、改めて意気込んだ。
