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古市尋常高等小学校の文集など、戦前、戦中の資料を保存している酒井辰夫さん=丹波篠山市
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古市尋常高等小学校の文集など、戦前、戦中の資料を保存している酒井辰夫さん=丹波篠山市
左は1936年度、右は37年度に発行された古市尋常高等小学校文集の表紙。子どもたちが遊ぶ風景から、兵士が銃を構える情景へ、がらりと雰囲気が変わっている
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左は1936年度、右は37年度に発行された古市尋常高等小学校文集の表紙。子どもたちが遊ぶ風景から、兵士が銃を構える情景へ、がらりと雰囲気が変わっている

 大正、昭和期の古市尋常高等小学校(現古市小学校)で作られた学校文集を、卒業生の酒井辰夫さん(94)=兵庫県丹波篠山市=が残している。日中戦争を境に、その表紙の雰囲気はがらりと変わり、「校庭で手を振る子どもたち」から「戦場で銃を構える兵士」へ-。子どもたちを取り巻く空気の変化が、文集にも表れていた。(金 慶順)

 学校文集「芽生え」。毎年1号ずつ発行されたといい、児童の作文や短歌などのうち、教師が選んだ作品を掲載している。酒井さんは、古市尋常高等小学校が古市国民学校に変わる前までの13冊を保存。それらについて武庫川女子大学教育学部の酒井達哉准教授=丹波篠山市=が研究している。

 1924年度に発行された第6号の表紙には赤い菊の花があしらわれ、自然や季節を詠んだ俳句が多く集められている。31年度の12号にも、芽を出して葉を広げる植物が描かれていた。

 17号(36年度)の表紙は、ポプラの木と、校庭から列車に向かって手を振る子どもたち。空気が変わるのはその翌年だ。18号(37年度)では、腹ばいになって銃を構える兵士の絵が表紙を飾っている。同じ教員が表紙を描いたにもかかわらず、その2冊の間には大きな隔たりが見える。

 序文にも同様の変化があった。

 「よい文を作るには、すなほな心を持って、毎日の生活を進めることが大切です。(中略)うれしい春をむかへる準備につとめませう」(17号)。

 「よくこの文集を読み返して、益々勉学につとめ、やがて御国の為にお役に立つよい日本人として、強く、正しく、明るく生ひ立ちますやう祈ります」(18号)。

 37年は、日中戦争開戦の年。酒井准教授は「満州事変(31年)から戦争の影響が出始めたが、日中戦争で教育現場の空気が急激に変わったとみられる」とみている。それは開戦後に戦争協力体制を作るため展開された国民精神総動員運動によって、「教育界も大きな影響を受けることになったから」という。

 18号以降、文集には兵士に向けた慰問文も登場する。「児童の表現力を高めるためにあった文集が、戦地の兵隊に対する慰問の役割も持つようになった」と酒井准教授は分析する。

  □    □

 酒井辰夫さんは、第18号が編集された1937年度、5年生だった。近くの神社で出征する兵士の祈願祭が営まれ、校庭では戦死した兵士の「村葬」があった。運動会の棒倒しでは、棒に中国の地名を付けて倒し合ったという。

 18号には酒井さんの作文も載っていた。学校での防火訓練を振り返る内容だが、訓練の想定は「理科室に敵飛行機の焼夷弾が落下した」とある。

 「学校の先生が戦争の話をすることが多くなり、生活の中で、だんだん戦争が膨らんでいったんですわ」と酒井さん。そして「戦争に行くのは当然。男やから仕方ない」と思いながら育った。自身は18歳だった45年6月に徴兵されたが、戦地に行く前に戦争が終わった。

 一方で、文集には戦争の悲しみや悲惨さを表す作品もある。19号の作文「お父さんの出征」には4年生の少女が父を見送る悲しみが、「私はねずに涙をいじつていると夜があけました」と素直につづられている。酒井さんは文集を見つめ、「これらの資料があのころの空気に触れる一つの手がかりになれば」と話している。

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