丹波

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毎月8日の法要で、遺芳殿に参る遺族=丹波篠山市沢田
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毎月8日の法要で、遺芳殿に参る遺族=丹波篠山市沢田
1929年に篠山歩兵第70連隊で開かれた「軍旗祭」の映像(丹波篠山市視聴覚ライブラリー提供)
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1929年に篠山歩兵第70連隊で開かれた「軍旗祭」の映像(丹波篠山市視聴覚ライブラリー提供)
保管されている軍旗の一部と竿頭=市立歴史美術館
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保管されている軍旗の一部と竿頭=市立歴史美術館

 篠山歩兵第70連隊の軍旗を前に、銃を掲げた兵士たちが一糸乱れぬ動きで行進する。広大な兵営に丹波の山並み。武者に扮(ふん)した兵隊の模擬戦、徒競走、子どもたちのダンスのような場面も映る。

 1929(昭和4)年5月、兵庫県丹波篠山市郡家の兵営であった「第22回軍旗祭」の映像だ。白黒フィルム3本が旧篠山町の倉庫に保管されているのが79年に見つかった。丹波篠山市視聴覚ライブラリーでは、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開している。

 軍旗祭は、連隊が満州に派兵される直前の37(昭和12)年まで毎年催された。近隣住民らも出入りし、にぎわったという。

 映像にある多くの建物はすでに失われた。だが、70連隊の軍旗の一部は今も存在し、市の指定文化財として市立歴史美術館(同市呉服町)に保管されている。

 「連隊にいらっしゃった方やその友人、ご遺族が見せてほしいと来られ、軍旗を前に涙を流す…。そんな場面が10年ほど前までありました。軍旗は命より大切だったのでしょうね」

 学芸員の大西由喜さん(40)が軍旗の一部を丁重に箱から取り出した。糸がほつれた赤と白の布地。今も金色に光る、菊花をあしらった竿頭。一般公開はしておらず、閲覧には同館の承認が必要だ。

 終戦の直後、各連隊の軍旗は焼かれた。45(昭和20)年、本土防衛のため満州から九州へ呼び戻されていた第70連隊は、同年8月29日に宮崎県で「軍旗奉焼」を行った。だが旗の一部と竿頭を連隊長がひそかに保管。戦後、同市沢田の「遺芳殿(いほうでん)」に置かれていたが、後に同美術館に移されたという。

 遺芳殿は43(昭和18)年、王地山で忠霊殿として建設された。篠山歩兵連隊の戦病没者ら3万2千余柱が合祀(ごうし)されている。今月8日、そこに市遺族会の酒井實副会長(83)=同市=らが集い、清掃と法要を営んだ。遺族会員が持ち回りで毎月行っている。

 酒井さんの父、伊三郎さんは37(昭和12)年に招集された。篠山歩兵連隊の兵営で短い訓練を受けた後、満州へ派兵されたが、過労や栄養失調で体を壊し帰国。広島陸軍病院や三田市内の療養所に入院していたが、回復はかなわず、42年に戦病死した。

 5歳のとき、酒井さんは母と共に広島陸軍病院へ見舞いに行った。傷病兵が横たわる様子は地獄絵図のようで、今でも目に焼き付いている。そして病床の父は戦地での体験を「やるか、やられるかやった」と苦しげに語ったという。

 「今ある私たちの幸せは戦没者のおかげ」と酒井さんはかみしめる。「軍の命令一つで、自分の家族を案じつつも戦地に向かい、意に反して亡くなった。毎日そのことに感謝しながら生きています」

 戦争は、遠い場所と古い時代の物語ではない。身近にもあり、今にもつながっている。遺芳殿では今年も8月15日、市遺族会による追悼式が行われる。(金 慶順)

【メモ】軍旗の一部や竿頭、来歴を示した「軍旗日記」は丹波篠山市教育委員会が所有し、市立歴史美術館(同市呉服町53)が保管している。一般公開はしておらず、閲覧には同館の承諾が必要。同館TEL079・552・0601

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 篠山歩兵連隊跡で今も形を残すのは、いくつかの門柱と2棟のれんが倉庫、射撃場の監的濠(かんてきごう)などわずかだ。戦後75年となった今、連隊の様子を語れる人も少ない。だが町のあちらこちらに、そして体験者の語りを聞いた人の中に、戦争の記憶は残っている。連隊にまつわる有形無形の戦跡をたどった。

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