丹波

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篠山歩兵連隊と篠山駅(現篠山口駅)を結んだ「篠山軽便鉄道」の線路跡は、高校生の通学路になっている=丹波篠山市杉
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篠山歩兵連隊と篠山駅(現篠山口駅)を結んだ「篠山軽便鉄道」の線路跡は、高校生の通学路になっている=丹波篠山市杉
昭和10年の篠山歩兵第70連隊を空撮した写真。6棟の兵舎や営庭が写り、兵営の北側には田畑が広がる(丹波篠山市立歴史美術館提供)
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昭和10年の篠山歩兵第70連隊を空撮した写真。6棟の兵舎や営庭が写り、兵営の北側には田畑が広がる(丹波篠山市立歴史美術館提供)

 田んぼやショッピングモールを横目に、高校生が自転車で駆けていく。JR篠山口駅(兵庫県丹波篠山市大沢)から篠山城下町の方向へ。同市の杉から吹新にかけて北東に走るその道は、戦中に「篠山軽便鉄道」(後に篠山鉄道へ社名変更)が走った線路跡だ。

 篠山歩兵第70連隊(同市郡家など)周辺の市街地と篠山駅(現篠山口駅)付近を結ぶため、1915(大正4)年に開通。国鉄篠山線の開通に合わせて廃線となる44(昭和19)年まで、兵士や物資、町の人たちを運んだ。

 戦地へ渡るとき、兵士たちは兵営から西町駅(同市西町)まで歩き、軽便鉄道に乗ってまずは篠山駅へ向かったという。

 「学校のみんなで西町駅へ見送りに行きました。旗を力いっぱい振ってね。兵隊さんはきびきびしていて、悲しい顔ではなかった。心の中は分からないけど…」

 連隊近くの岡野国民学校(現岡野小学校、同市東浜谷)に通った柳沢孝省(こうしょう)さん(88)=同市=は振り返る。兵営に出入りしたこともあるという。

 「学校の畑で野菜を作って、連隊に献納しに行くんですわ。大根とか、しゃくし菜とか」

 営門をくぐると、本部の建物や倉庫、大きな6棟の兵舎が見えた。野菜を担いだ柳沢さんに声を掛ける兵士もいた。「自分の息子を思い出してかわいがってくれたんでしょう」

 日露戦争後の軍備拡張を受け、1907(明治40)年に発足した第70連隊が旧篠山町に置かれたことは、町や住民らの悲願だった。「篠山町七十五年史」(55年発行)には「連隊誘致活動の思い出」という項目がある。同町出身の代議士、同郷の陸軍将校らの尽力や、住民が多くの土地を献納した記録も残る。

 連隊が置かれた後、兵営から西町周辺までの「郡家通り」は商店が並んだ。城下町の外れには花街も誕生し、町はにぎわったという。だが戦後、そのほとんどが姿を消した。

 時代は移り、現代の岡野小学校。杉本克治校長(57)は、同小に赴任していた2000年ごろ、連隊を知る人を招いて体験を語ってもらっていた。

 「『新兵さんはかわいそうだな、また眠れなくて泣くんだろうな』-。近所の人たちが歌っていたという歌は、不思議と今でも歌えますね」

 町がにぎわう裏では若い兵士が過酷な訓練にあえぎ、家族との悲痛な別れがあったという。その先には戦地での苦しみも。児童は熱心に質問し、学習を基に劇も作った。

 当時の語り部を呼ぶことはもうできない。だが、今でも歴史の授業で戦争を学ぶときは、篠山歩兵連隊のことを学ぶ。線路やにぎわいが消えても、戦争の歴史と地域の記憶は結びついている。

    □    □

 篠山歩兵連隊跡で今も形を残すのは、いくつかの門柱と2棟のれんが倉庫、射撃場の監的濠(かんてきごう)などわずかだ。戦後75年となった今、連隊の様子を語れる人も少ない。だが町のあちらこちらに、そして体験者の語りを聞いた人の中に、戦争の記憶は残っている。連隊にまつわる有形無形の戦跡をたどった。(金 慶順)

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