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天理大の松岡大和主将(右)がラグビーを始めるきっかけを与えてくれた兄・健人さんと記念写真に応じる=神戸市北区
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天理大の松岡大和主将(右)がラグビーを始めるきっかけを与えてくれた兄・健人さんと記念写真に応じる=神戸市北区
ラグビー大学選手権決勝で話題となった試合後のインタビューを自宅で見返す天理大の松岡大和主将=神戸市北区
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ラグビー大学選手権決勝で話題となった試合後のインタビューを自宅で見返す天理大の松岡大和主将=神戸市北区
初優勝したラグビー全国大学選手権決勝の記事が載った本紙を手にする天理大の松岡大和主将=神戸市北区
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初優勝したラグビー全国大学選手権決勝の記事が載った本紙を手にする天理大の松岡大和主将=神戸市北区
初優勝したラグビーの全国大学選手権を振り返る天理大の松岡大和主将=神戸市北区
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初優勝したラグビーの全国大学選手権を振り返る天理大の松岡大和主将=神戸市北区
初優勝したラグビーの全国大学選手権を振り返る天理大の松岡大和主将=神戸市北区
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初優勝したラグビーの全国大学選手権を振り返る天理大の松岡大和主将=神戸市北区

 優勝時の熱血インタビューで話題になった男が胸の内を明かした。ラグビーの全国大学選手権で初優勝した天理大の松岡大和主将(22)=神戸市北区出身=がこのほど、地元で神戸新聞の取材に応じた。早稲田大との決勝戦の秘話や新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した当時の心境、花園とは無縁だった甲南高校時代の苦悩などを語った。(聞き手・尾藤央一)

 ◆決勝の振り返り

 -後半32分に交代した瞬間の涙の意味は。

 「自分も80分間試合をしたかった(交代は)監督の判断。試合後、(監督の)小松さんから『お前ちょっと走れてなかったからさすがに交代させたわ』と言われて。気合でなんとか乗り切ってたんですが、体は正直だった。このチームでできるのも最後やし、天理の黒ジャージーを着るのもラストかと思ったら寂しくて、自然と涙が出てきた。感謝とみんなにありがとうと、あのときはものすごくわき出てくるものがあった」

 -試合後のTVインタビューで感情が爆発した。

 「キャプテンやし最後まで泣かんとしゃべろうと思ってた。この一年間たくさんの方に支えられたことと、部員みんなが練習中にいいプレッシャーを与えてくれたおかげで、試合をイメージできる練習をものすごくしてくれたことの両方で、感謝の思いが強くてこみ上げてきた。これまでの悔しさも感謝も全て思い出した」

 -絶叫した理由は。

「自然と。試合直後で興奮してた。普通の会見の時は、あんなことはないんで(笑)。自分は元気な選手。しゃべるときははきはきしゃべって、熱く言わないと伝わらんなと。練習中も『大和うるさいなー』『いい声出してるな-』とか仲間から言われている。昔から試合中はわぁーわぁーと言うタイプ」

 -思い出した悔しさと感謝とは。

 「4年間つらい思いしかしなかった。日本一を目指す中で(1年生から)3回負けて。チームとしても個人的にも頑張ってきて良かったなと。特に今年はコロナで自分たちがクラスターになった瞬間、少なからず誹謗中傷の声もあり、その半面、たくさんの方々が応援メッセージや応援動画をたくさんいただいて、それが自分たちの原動力になって前を向き続けられて乗り越えられた。そういった方々の感謝の気持ちがあった」

 -チーム全体で声を張り上げていたのが印象的。

 「試合に向けての勝つマインドが選手みんな強くて。特に決勝の早稲田戦は、試合前日のジャージー渡しで意気込みを言って涙する選手もいるくらい。全員が『勝ちたい』『やったるぞ』の気持ちが強かったのでそれを体現していたのかな」

 -試合前日のホテルでのジャージー渡しの様子は。

 「初めて黒ジャージーを着る選手は一言言うが、普段は小松さんと握手して終わるけど『今回はラストの試合でそれぞれ思いがあるから一言意気込み言って』と監督に言われた。(メンバーやスタッフら50人の前で)23人全員で1番から順番に。キャプテンは最後。普段泣かないサイア(フィフィタ)が『このジャージーを着るのが最後やから、みんな絶対勝ちに行こう』と涙ながらに言って、それにつられてみんな泣いていた」

 -早稲田をどう分析していた。

 「相手のアタックについて、プレッシャーを与えていこうと。明治戦でより課題に出たので。動いてくる選手がいたので、前に出てプレッシャーを与えて相手のやりたいことをさせないで。自分たちからしんどいことをして、ディフェンス重視でいた。アタックは自分たちから当たりにいって、プレッシャーをもらうんじゃなく、しっかり接点で前に出ていくことをテーマにしてやっていました」

 -優勝決定後、小松監督に一目散に走って抱擁した。

 「見つけた瞬間抱きついたるねんと思って。うれしくて、『節ちゃんやったったで』と。監督も『ようやってくれた。お疲れ。ありがとうな』って言われた」

(TVインタビューを実家で再度見返しながら)

 「大丈夫かって(笑)。恥ずかしい。もっと冷静にならな。質問にちゃんと答えられていない。全然ちゃうやん。同期のマネージャーにも『質問に答えろ』と言われたけど、でもこれだけは言うとかなあかんと思って」

 -大学日本一の景色は。

 「見たことない景色で本当に最高でしたね。言葉に表しづらいですね。初優勝のうれしさもあれば、このメンバーでできるのが最後っていう悲しさもあれば。いろんな思いとうれしい以外にもこみ上げてくるものがあった」

 -関西勢は36年ぶりの優勝。

 「頭にはありました。(関西勢が関東に)勝てへんなって。入学した最初は思ってなかったですけど、そのときのキャプテンが『打倒帝京、日本一」を掲げていて、トレーニング中も『打倒帝京』って叫びながら階段を上った。チームがそういう雰囲気になっていたので、関西代表という意識が高まった」

 -今季の日本一は必然だったのか。

 「僕らが強いと思ったことは全くない。試合するごとに自分たちが成長していこうと思っていた。コロナでなかなか試合ができなかったので、1試合1試合レベルアップしてチームとして成長していこうと。前よりも進化したというプラスのイメージがあった」

 ◆コロナ禍

 -クラスターの時に支えになったのは。

 「小松監督ですかね。病院とかホテルの手配とかを何かあれば放送して寮の事務所で作業してくれていた。寮に誹謗中傷とかいろんな声がある中で、小松さんが何回も頭下げてくださって。たくさんの方々から応援動画やメッセージをもらったのは、小松さんがいろんなことで動いてくれたからこそだと思う」

 -クラスターの時に一番芽生えた感情は。

 「一番はラグビーができない、みんなに会えない気持ちが大きかった。けど誰のせいでもない。なったことは仕方ないから次どうしていこうかを考えた。大会や試合があることを信じてみんなに声を掛けていた。一回だけ、ニュースで鍋宴会で(クラスター発生)みたいなのが出て、宴会ちゃうけどと思ってた。誹謗中傷の声でストレスになるのが嫌やったので、ツイッターも消して、極力声を聞かないようにした。そうしていると数えきれないほどの動画やメッセージ、手紙をもらって原動力と励みになった」

 ◆甲南中高時代

 -決勝を前に甲南の仲間から応援動画が届いた。

 「決勝の前日に(動画が)来てホテルの部屋で1人で泣いてました。先輩から同期、後輩まで関わった代全員と監督やコーチ。甲南ラグビーがよく行く定食屋のおばちゃんまで5分くらいの動画。『甲南魂で頑張ってくれ』と。送ってくれると思ってなくて、本当にうれしくて、一生の宝です。甲南のやつから動画もらったっていうのは是非とも記事にしてほしい」

 -甲南高校では主将として引っ張った。

 「まさか主将になると思ってなかったんで。『今年の主将松岡』って監督に言われた瞬間びっくりしすぎて返事できなくて。『返事は』って言われて、『あっ、はい』って言うたんですけど(笑)弱小校やったんで、花園出てる選手はスキルもあるんで自分なりに負けじと頑張っていた。報徳や関学から学ばさせられることが多かった」

 -苦悩した時期もあった。

 「高校3年の5月くらい。何でみんな花園に行きたい気持ちがこんなに薄いんだろうと。自分が考えすぎて、1人で抱え込んでしまって。それこそ自滅していく。『なんでやらへんのやろ』とか『もっと必死こいてやらなあかんやろ』とかが周りから感じられず、それがストレスでイライラすることもあった。そのストレスが大きくて、花園予選が近づいてきた8月くらいに学校を1日だけ休んだことがあった。風邪もなかなか引かないので休むのはよっぽどのこと。自分から学校を休みたい、行きたくないと思ったのもその日だけ。。翌日仲間が『どうしてん』とか声かけてくれて、周りも話を聞いてくれたんで、アクションを起こしやすくなった。それで自分も聞きやすくなって、腹割って話したりできるようになった」

 「『もっとやれよ』『やらなあかんやろ』とかそういう声に対して、楽しくラグビーしたい選手もいたから『なんでそこまで言うんや』と、僕だけ100パーセントで走ってて『聞く耳もないやろ』って感じで溝ができてた。その時は未熟で、マネジメントができてなかったのがだめやった。行動が先走ってたとき仲間から意見もらって、周りの声が大事やと感じ始めて、そこから普段からどういうことに配慮してやってチームをまとめていかないといけないか考えた。本当に良い経験させてもらって、大学のラストイヤーでもキャプテンやらせてもらって、その経験が生きたので高校時代の仲間には本当に感謝している」

 -将来の夢は指導者として母校の甲南高校を花園に導くこと。

 「それはラグビー人生が全て終わった後の最終的な目標。今の目標はトップリーグで試合に出ること。また初心に戻って、大学1年の時のようなハングリーな選手でいなければならない。上には上がいると思うので、良いもの吸収して、最終的には日本代表に近づけるように頑張りたい」

 -母校を花園に連れていく夢を決めたのは。

 「大学1年生の教職(課程)を取る時。天理で取れると聞いていた。4年夏もチームを離れて教育実習で母校に帰った。(甲南高の)南屋監督からも『頼むわ』と」

 -指導者になればどんなラグビーをするか。

 「天理みたいなラグビーをするかもしれないですね(笑)。今後またラグビーの見方が変わってくるかと思うし。年度が変わるごとにどういったラグビーが主流になるかもありますし。結局は天理のラグビーに戻ってくると思う。染みついているので」

 ◆天理大での4年間

 -高校は県ベスト4が最高成績。大学でラグビーを続けることを考えたのは。

 「高校2年くらいから早明戦見てかっこいいなと。その時は関東のチームでやってみたいなと憧れがあった」

 -天理大への進学のきっかけは。

 「高校2年の最後に新人戦を見てか、天理大の八ツ橋(修身)コーチに声かけてもらった。こんな弱小校の僕に声かけてもらって、本当にびっくりした。こういうチャンス逃したらあかんなと思って、『すぐに行きたい』とふたつ返事で決めました」

 -当時の天理大の印象は。

 「天理が関学に勝って(35年ぶりに)関西優勝したときの試合をお兄ちゃんが録画してて。立川直道(現清水建設)さんの時の。黒ジャージーで、オールブラックスも好きやったんでそれがかっこよく見えてた。どんどん強くなっている時やったんで、チャレンジしたいと思った。ただ、お母さんには反対され続けて、高校3年春の学校見学も、小松さんへの挨拶もお兄ちゃんと一緒に行った」

 -無名校から関西の強豪に進んで、周りは花園経験者やレベルの高い選手が多くいた。

 「初めての寮生活でワクワクしてたし、(周りに)負けじと頑張ろうと。何よりラグビーが好き。楽しい中でひたむきに頑張り続ける。1年生から試合出たい思いがあった。みんな(先輩が)怖いと言うてるんですけど、そんなん関係あらへんと。どんどん聞きに行って。スクラムのことやボールキープの仕方とか気になったらプレーでもすぐ聞く。ぐいぐい行くタイプだった」

 -日本一になった今季の天理大の強さの秘訣は。

 「自分たちの代は1年生から頑張る選手がいた。昔は寮の横にウエートルームがあったんですけど、1年生はそこでウエートしていて、FW陣は早朝6時から叫びながらやってた。FWが先にウエートをしていたらバックスが『なんかウエートルーム暑いな』みたいに言うくらい、熱量が違った。振り返れば、1年生だけで試合をしてた時からええチームやった。花園に出てないメンバーもいて、たくさん悔しい思いをしてきた選手がいたから『やったるぞ』と。それが自分たちの代には多かった」

 -日本一を絶対取りたいと思ったのは。

 「2年生の決勝戦が終わったから。メンバー入りしたが出場機会がなく、ラグビー人生で1番悔しかった。もっと練習せなあかんと実感したゲーム。そこから2、3週間オフがあったけど、1週間リフレッシュした後の、次の週から練習を始めて。休んでいる暇じゃないと。グラウンドを1人で走ったり、バイク漕いだり、ウエートとかしんどいメニューをそこからずっと取り組んでいた。昔からやらなあかんってなったらずっとやるタイプです」

 -影響を受けた人は。

 「2年前の主将(現パナソニック)島根一磨さん。声を張り上げてチームを鼓舞するのも、体を張り続けるのも一番で、こういう人でありたいなと。日本一になった後、『ほんまにありがとう。よう1年頑張ったな。俺らの借りを返してくれて』って連絡が来て、自分は『今まで先輩たちが残してきてくれたものがあったからここまで来れました。これはみんなの優勝です』って返した。1年生から憧れの先輩がいて、真似しながら良いもの吸収して、それがあって今の自分がある。ひたむきに頑張り続けることが大事だと教わった」

 ◆ラグビーを通じて学んだ経験や教訓

 -兄・健人さんの影響でラグビーを始めた。

 「お兄ちゃんがいなかったらラグビーをしてない。最初は小学生にやっていた卓球部かサッカー部に入るつもりだった。大学でも毎年1、2回サッカー大会があるので、そのときはGKをやっている。大学入学前に、クラブチームの試合に兄と一緒に初めて出て、兄が6番、僕が7番でラグビーしたのが本当に楽しかった」

 -両親は。

「すべてに感謝。育ててくれてありがとう。(大学入学前は反対もあったが)自分のこと思っての言葉やと思うので。今までたくさんのお金を使わせていただいたんで、それなりの恩返しをしたい。旅行とかに連れていきたいです」

 -ニュージランドの留学経験も大きかった。

 「甲南中3年の終わりが初めて。大学2年までに10回行っている。向こうの選手は練習が始まったら顔色も変わりますし、さぼるところも一切ない。やるときはやる。やらん時はしっかりオフ。パスでも、回転をかけるのではなく、しっかり押し出すパンチパスを教わった。ブレークダウンの働きかけも大事で、大学で、立っている状態から寝て起きて、バッグにタックルする練習を取り入れて、リアクションが高まった」

 -常に前を向き続ける根源は。

 「ぼくの性格なんですかね。前を向き続けてがつがつ行く。家族が楽観的で前向き。親からもいろんなアドバイスをもらい、それこそ良い育て方をしてくれた。たまには後ろ向きになるときありますけど、すぐにどうしていくかを考える。ずっと落ち込んでいてもしゃあないので、次切り替えてがんばらなあかんという思いが強い」

 ◆あれこれ

 -頭にヘッドキャップを着けない理由は。

 「(テープを)巻いた方が気合が入るんですよ。テープやとずれないし、圧迫されてスイッチ入る。1年生からやっている。ヘッキャを着ける時もあったけど、選手権はこれでやろうと」

 -現在のスマートフォンの待ち受けは。

 「優勝を決めた後の国立のロッカールーム。最後4年生だけで撮った写真にしました」

 -優勝後うれしかったことは。

 「帰りの新幹線で牛タン弁当がおいしすぎて最高だった」

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