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紙芝居の講習会で実演をする高橋五山=1951年5月(高橋洋子さん提供)
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紙芝居の講習会で実演をする高橋五山=1951年5月(高橋洋子さん提供)
石龕寺の蔵から見つかった高橋五山の紙芝居「ウチテシヤマム」=丹波市山南町岩屋
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石龕寺の蔵から見つかった高橋五山の紙芝居「ウチテシヤマム」=丹波市山南町岩屋

 子どもに読み聞かせる「保育紙芝居」の生みの親とされる高橋五山(1888~1965年)が戦時中の1944年、幼児向けに制作・発行した国策紙芝居が、兵庫県丹波市山南町岩屋の石龕寺(せきがんじ)で見つかった。国策紙芝居は、銃後の子どもたちの戦意を高めるため政府に利用されたが、終戦後は多くが焼却・廃棄されたという。丹波市は貴重な史料として、資料館での展示を予定している。(藤森恵一郎)

 見つかった五山の紙芝居は、44年4月発行の「決戦幼児文化紙芝居 ウチテシヤマム」。堀井隆洋(りゅうよう)住職(53)から依頼され、同寺の蔵を調査していた地域史研究家と神戸大の研究者が発見した。題名は、戦時下に普及した標語で、「敵を打ち砕かずにおくものか」という意味の「打ちてし止(や)まん」から採ったとみられる。

 青緑のモノトーンで、縦26センチ、横37・5センチの全16枚。小さな子どもが銃を抱え、米兵に見立てたかかしを目掛けて突き進み、何度転んでも泣かずに起き上がる勇姿を激賞している。

 五山の孫の妻で、作品の研究を続ける高橋洋子さん(59)=東京都=は「五山の国策紙芝居は数作あるが、当時の現物が寺から見つかるのは珍しい。ウチテシヤマムのストーリーや絵を知るのは初めて」と話す。

 五山が戦時下に制作していた、特徴的な切り絵作品の一つといい、「忍耐力の大切さを説くたわいない内容だが、表現はデザイン的で当時は五山しか作れなかっただろう」と分析する。

 堀井住職によると、紙芝居が蔵にあった経緯や、戦時中に実際に使われたのかは不明。高橋さんは「困難な時代に、遠い兵庫県の寺と五山につながりがあったとは驚き」とし、寺が農繁期に託児所の役割を担ったことや、五山が「仏教紙芝居」も作っていたことなどが背景にあるのではと推察する。

 一方、ウチテシヤマムの発行からわずか約3カ月後の44年7月に五山が作った、戦意高揚とはほど遠い内容の「小鳥の夢」という紙芝居がある。小鳥が空一面の星をあわ粒と勘違いし、一晩中食べるものの、おなかをすかせてしまう話で、未刊とみられる。

 高橋さんは「戦争末期の苦しく悲しい状況が伝わってくる。国家総動員体制下でウチテシヤマムのような国策紙芝居を発行する一方、たとえ出版はできなくても手掛けずにはいられなかった作品だったのでは」と、五山が抱えていただろう葛藤に思いをはせる。

 ウチテシヤマムは11月10日から、柏原歴史民俗資料館(丹波市柏原町柏原)で展示される予定。

【高橋五山】 京都市出身で、同市立美術工芸学校と東京美術学校を卒業後、幼年雑誌の編集に携わり、1931年に出版社「全甲社」を設立した。「紙芝居の魅力に芸術性と教育性を盛り込めば、素晴らしい保育の文化財になる」と考え、海外の童話も取り入れた「幼稚園紙芝居」などを出版した。62年にはその業績を記念して「高橋五山賞」が創設された。

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