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シベリア出兵の従軍取材に向け、神戸駅を出発する荘村意太郎さん(神戸新聞1918年8月21日付紙面より)
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シベリア出兵の従軍取材に向け、神戸駅を出発する荘村意太郎さん(神戸新聞1918年8月21日付紙面より)
救援物資を積んだ車両を囲む「神戸市相生町四丁目青年会」のメンバーとみられる男性ら=撮影日、場所不明(提供写真)
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救援物資を積んだ車両を囲む「神戸市相生町四丁目青年会」のメンバーとみられる男性ら=撮影日、場所不明(提供写真)
一帯が焦土と化す中を歩く人々=撮影日、場所不明(提供写真)
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一帯が焦土と化す中を歩く人々=撮影日、場所不明(提供写真)
震災後に焼け跡となった東京・日本橋付近。共同通信の写真とみられる=撮影日、場所不明(提供写真)
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震災後に焼け跡となった東京・日本橋付近。共同通信の写真とみられる=撮影日、場所不明(提供写真)

 1923(大正12)年の関東大震災から、1日で丸98年となる。関西学院大学名誉教授の深山明さん(72)=神戸市兵庫区=の実家で、この震災に関係するとみられる写真25枚が、祖父の遺品から見つかった。ほとんどは撮影者や場所、日付が不明だが、がれきと化した東京の町並みや混乱する人々の姿から、被害の大きさをうかがうことができる。(井川朋宏)

 祖父は旧城崎郡(現豊岡市)出身で、元神戸新聞編集局顧問の故荘村意太郎さん。震災5年前の1918(大正7)年にはシベリア出兵に従軍記者として派遣された。32(昭和7)年に45歳で亡くなったとされる。

 深山さんが荘村さんの長女である母らと住んでいた実家(兵庫区)で数年前、妻が書類を整理していた際、はがきサイズの写真の束を見つけた。このうち少なくとも数枚は、共同通信が公開する写真と一致した。それぞれ、東京・日本橋付近の焼け跡や、浅草付近の線路で復旧工事をする様子、大破した横浜市内の電車線路とみられる。

 中には、被災者に物資を与えて救う品という意味の「救恤(きゅうじゅつ)慰問品」と記された幕を掲げた写真も。食料と思われる箱を積んだ車両の周辺に、男性約10人が並ぶ。この中では、「神戸市相生町四丁目青年会」という旗も確認できる。

 荘村さんについて「仕事にも家庭にも厳しい人だったと聞く。短い人生を懸命に生きたと思う」と深山さん。自身は約40年、関学大で教え続けた。「今の問題を解決するためには、歴史をひもとかなければならない。過去を記録に残し、風化させないことは大切だ」と話している。

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