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ひぐちのりこさん
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ひぐちのりこさん
北村英夫さん
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北村英夫さん

■何かの時、ラジオは一番役に立つ

 武庫川を渡って大阪の職場へは向かえなかった。その代わり、避難所で炊き出しや子どもへの読み聞かせなどに携わる。高校の放送部経験を生かしてミニFMにも参加した。今もリスナー(聴取者)と温かいやりとりを続けるひぐちのりこ。兵庫県西宮のコミュニティーFM局「さくらFM」でパーソナリティーを務める。その声に耳を傾けながら、会長の北村英夫(71)がらい落に笑う。債務超過寸前の会社を「日本一の地域ラジオ局に!」と走り回ってきた。

    ◇    ◇

 「西宮のみなさん、おはようございます!」。1998年3月26日、パーソナリティーひぐちのりこの声が、JR西宮駅南のフレンテ西館3階のスタジオから電波に乗った。

 ラジオ好きで音楽も好き。高校時代は放送部に所属した。阪神・淡路大震災では、住んでいた西宮市甲子園口のマンションが半壊。天井が落ちてくる-。ベッドの上で立ち上がることもできなかった。

 ようやくドアを開けて外へ出ると、近所の人も出てきた。誰かがラジオを持ってきた。ひぐちは散らかった家から乾電池を持ってきた。「震度5です」。被害を伝える声に思わず「うそでしょ」と声を上げた。

 震災後、武庫川が渡れず、物理的にも精神的にも職場のある大阪へ行けなかった。炊き出ししたり、避難所で子どもたちに本を読み聞かせたり。そのうち「さくらFM」の母体となったミニFM局で、さまざまな番組作りに参加する。

 震災で甚大な被害を受けた西宮市は復旧や復興で余裕がなく、「さくらFM」の開局までには3年の月日を要した。開局以降は朝の帯番組などを担当したが、出産を機に2年ほどラジオから離れた。スタッフに請われて再登板。リスナーとつながれる番組にこだわっている。

 「信頼があるからこそ、いざというときに当てにしてもらえる。日頃から、ラジオって楽しいよ、と伝えることが私の役割」

    ◇    ◇

 「さくらFM」の経営は順風満帆でなかった。広告収入が当初予測から大きく外れ、資本金は減少の一途をたどる。西宮市からの経営支援で一時的に持ち直しても、リーマンショックで暗転した。2012年から経営改善計画が始まった。

 現会長の北村英夫は西宮市を防災安全局長で定年退職した後、12年10月に「さくらFM」の9代目社長に就任した。株主を整理し、新たに経営に参画してくれる人を探した。有事の際に役立てるよう緊急告知ラジオを販売。親しみを持ってもらおうとオリジナルサイダーなどを売り出しもした。16年度からは芦屋市も経営に参画。難聴地域解消のため、18年には生瀬中継局を設けた。

 災害が起きればいち早く駆けつけ、地域放送局の立ち上げなどを支援する。コミュニティー放送局でつくる「JCBA近畿地区協議会」の会長を担い、良質な番組作りを先導する。

 新型コロナ禍で経営は切迫する。しかし北村は言い切る。「ラジオは災害時に絶対必要」。充電というアキレス腱(けん)があるスマートフォンと違い、ラジオは乾電池一つで情報が得られる。

 26年前、みんなが車座になってラジオを聞いた。「何かの時に、ラジオは一番役に立つ」。そう信じている。(敬称略)

    ◆    ◇    ◆

 1995年の阪神・淡路大震災で、身近な情報源として見直されたラジオ。既存の放送局以上に、92年に制度化されていたコミュニティーFMは、被災者のニーズにあった情報が得られると注目された。震災後、阪神間では四つの放送局が96~2000年に生まれ、防災情報にとどまらない、きめの細かい情報を地元に届けている。(中川 恵)

【さくらFM】阪神・淡路大震災で身近な情報の大切さが認識され「緊急時に迅速な情報伝達ができるように」と1998年に誕生した。2016年に西宮コミュニティ放送株式会社から社名「さくらFM株式会社」に変更。愛称の「さくらFM」は公募で決まった。周波数は78.7メガヘルツ。スタジオはフレンテ西館3階にあり、主な聴取エリアは西宮市と芦屋市。

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