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1962年の広河原の様子(西宮市情報公開課提供)
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1962年の広河原の様子(西宮市情報公開課提供)
五ケ池でボートを楽しむ人たち=1959年(西宮市情報公開課提供)
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五ケ池でボートを楽しむ人たち=1959年(西宮市情報公開課提供)
現在の広河原。草が生い茂り、バッタやカナヘビの姿が見られる=西宮市仁川町6
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現在の広河原。草が生い茂り、バッタやカナヘビの姿が見られる=西宮市仁川町6
「五ケ池ピクニックロード」の表示
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神戸新聞NEXT
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 阪急電鉄仁川駅(兵庫県宝塚市)から住宅地を抜けて同県西宮市の甲山方面へ。市道「五ケ池ピクニックロード」沿いに進むと、テニスクラブと五ケ池が見えてくる。さらに進んだ仁川上流に広がる草原が通称「広河原」だ。かつてそこは、その名の通り砂浜のような土地が広がり、年間50万人以上もの人が押しかける人気の行楽地だった。

 もともと一帯は大正末期、マツタケ山だったという。昭和前半に2度の火事に遭い、代わって広々とした草原を楽しむハイカーでにぎわうようになった。さらに変化があったのは1951(昭和26)年。当時の京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)がこの辺り一帯を「仁川ピクニック・センター」の呼称で宣伝し始めた。

 うたい文句は「家族連れの山遊びの場」。山あり、池あり、渓谷あり-。高度経済成長期の都会で暮らす人々に憩いの場を提供した。休憩所や喫茶店、貸しボートなどが人気を集め、52年にはキャンプ村を開設。さらに翌年には植物や昆虫の説明板を設け、野外舞台も設けられた。企業の運動会やバレーボール大会も行われていた。人気は全国にとどろき、年間50万人以上の人出を記録したという。

 都市化が進み、環境保全が叫ばれ、さらに自然への回帰志向が高まった。76(昭和51)年には、45種目が楽しめる「阪急仁川フィールドアスレチック」と自生種に植栽を加えた「阪急仁川自然植物園」がそれぞれオープンした。アスレチックは初年度に14万人が訪れた。

 「当時は、阪急仁川駅から川沿いをたくさんの人が歩いていた」とは、五ケ池ピクニックロード沿いの喫茶店「グーテン・ターク」の君田信子さん(75)。アスレチック開園前年の75年に店を構え、子どもが遠足で訪れたり、中高生が友達同士でアスレチックやボートを楽しんだりする姿を見てきた。「自分たちだけで来られて、あまりお金を使わずに遊べる場所として良かったんじゃないかな」

 ところがレジャーの多様化などから、次第に客足が遠のく。植物園は改装や利用者減による休園を挟み、2005年3月末に閉園した。同年、阪急電鉄の子会社が、旧植物園など仁川ピクニックセンター一帯の計37・8ヘクタールを西宮市に寄付した。市はこの土地を仁川緑地とし、一部道路沿いの枝を切る以外、原則的に自然に返す方針を立てた。

 現在の広河原は、子どもらが自然観察や川遊びをできる都市近郊の水辺として、NPO法人こども環境活動支援協会(LEAF)=西宮市=が管理する。土のもろい六甲山系から流れ出る仁川は、大雨が降ると土砂が流れ込んで川筋が変わってしまうこともしばしば。同法人の小川雅由専務理事(66)は「ただ楽しい場所ではなく、防災教育の場としても活用したい」と話す。

 一時期の騒がしさはどこへやら。広河原にはバッタが飛び交い、グーテン・タークを訪れるのは近くの住民ぐらい。「静かになった。私らも年を取ったし、ゆっくりできていいです」。君田さんが笑った。(中川 恵)

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